最近すごく古い建物によく出入りします。
1928年竣工なんだそうです。
以前、私の実家を立て直す際に両親と喧嘩になった事があります。
私の考えとしては性能は必要最小限満たしていればよく、それよりも「気分」を大切にしたいと考えていました。
居酒屋で飲むビールもおいしいけれど、ビアガーデンで飲むビールの方がちょっとおいしく感じます。さらに、河原でバーベキューをしながら飲むビールはもっとおいしく感じます。
渋谷の雑居ビルのウクレレ教室でウクレレを弾くよりも、日曜の午後に代々木公園で弾いた方がちょっと楽しいです。さらに、ノースショアでガーリックシュリンプをつまみながら弾いた方がもっと楽しく感じるのではないかと思います。
YouTubeでジェゴクを聞くよりも、ヌガラで聞いた方が圧倒的に魂は震えます。
そこにあるのは五感全てで感じる「気分」なんだと思います。
一方、両親の考え方としては「数字」です。
耐久、耐震性や保証期間、気密性・・・まーーーーたくさんの数字を出してくるのです。
確かにそういう資料はスゴくキャッチーだし、「気分」を重要視しない人からしてみると信頼に値するのかもしれません。
「データを出せ」と言われても残念ながら「気分」はデータ化できません。(もしかしたら出来るかもしれないですが・・・)
どうにも説得は出来ませんでした。
もちろん、そこに至る経緯に私自身の未熟さが有ったのは言うまでもありませんが。
すごく古い建物に出入りして感じるのは一言で言うと「不合理」です。
当時のままであろう床に関して考えてみると、その建物の床は「人研ぎ(ジントギ)」と呼ばれる仕上げです。ネット検索してみて下さい。なんかどっかで昔見た事ある!と思うかもしれません。
そりゃーもう時間もお金もかかった事でしょう。。
ツルツルに磨き上げる事で撥水効果も期待でき防塵効果もあると思います。
ただその分滑るのです。雨の日なんかはさぞ危ない事だろうと思います。
それでも「人研ぎ」にしたいという「気分」があったという事なのだと理解できます。
いろんな建材が開発されている現代では撥水効果も防塵効果もあり、かつ滑らない建材はいくつもあると思いますが、そこに「気分」まではなかなかケアできないものです。
「気分」というのは言い換えれば「デザイン」なのかもしれませんが、デザイン性を優先するあまり実用的ではなかったり、危険であったりという事は往々にしてあります。
それでも人間はそこに柔軟に対応してゆくのではないでしょうか。
先日弊社である企業のオフィスを手がけました。
用途を限定せず、少し未完成な状態で「あとはお好きにどうぞ」というデザインでした。
どこでミーティングを?何人座れる?ここはどんな用途?無駄では??などと言われる機会の多い中で、そこの社長は「空間に人間がアジャストするんだよ!」と言っていただき非常に嬉しかった記憶があります。
人はいつだって合理的な選択をしているとはとても思えません。
学生時代に「一本のタバコをおいしく吸う為に遠くへ行こう!」と言われた事があります。
どこへ行ったか、誰と行ったか、本当に行ったのかは覚えていませんが、これほど「不合理」な事はありませんが、そんな「気分」も時としてあるのです。
昔の建物は良かった!とか、デザイン性を最優先すべきだ!とかなんてサラサラ言うつもりはありませんが、ほんの少しだけでも「気分」の事を考えてみると家に対する見方も少し変わるかもしれません。
この場所でビールを飲むと気持ちがいいだろーなー・・とか。
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